中年おやじが語るクラシック音楽

最近見たこと聴いたことや昔の話などをランダムに書いていきます。毎晩9時ごろに更新するのが目標です。

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 昨日に引き続き、古い録画の話題です。1990年に放映された、フランツ・リスト室内管弦楽団の演奏会です。「管弦楽団」といっても、管楽器はいなくて弦楽合奏団の演奏会です。

 この団体は指揮者を置かず、コンマスのヤーノシュ・ローラがリードしています。しかし、果たして「リード」することが必要なのか、と思うくらい全員の意思が統一されているところにこの団体のすごさがあります。単に練習を積み重ねて仕上がったアンサンブルを超えた何かがあります。

 1990年の演奏会のプログラムは順不同で、リストのハンガリー狂詩曲第2番、ブラームスのハンガリー舞曲のいくつか。そして、バルトークのディヴェルティメント、ルーマニア民俗舞曲。そのほかにはヴェイネルの小品。アンコールはベルリオーズのラコッツィ行進曲。ディヴェルティメント以外はすべて弦楽合奏用に編曲されたものです。

 これらの曲にはしばしば民謡が引用されます。民謡というのはどの国のものでもそうですが、五線譜にかけないような微妙なテンポやリズムの変化があります。西洋音楽の演奏者は、ともするとそれを一生懸命分析して、言葉や理論で表現し、合理的練習を積み重ねながらアンサンブルを仕上げていこうとします。

 しかし彼らの演奏はそいうものとは全く違います。各自が自分の体内から自然ににじみ出てきたリズム感やテンポ感で楽器を弾いています。相当大胆なアゴーギクなんかもつけているのですが、結果として全員がぴたっと合っていて一糸乱れぬアンサンブルになっています。でも誰かが誰かに合わせようとしているそぶりがありません。平然と自信満々に弾いているのです。

 このようにして醸し出される、他には真似できない濃厚な民族臭のようなものが、この団体の魅力だと思います。

お得意のバルトーク なぜか協奏曲伴奏が多い ペレーニとのハイドン
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 1990年は激動の年でした。東西ドイツの統一と、それに関連する記念碑的な演奏会数々。クーベリックがプラハの春で演奏した「わが祖国」。一方、チャイコフスキーコンクールでは諏訪内晶子さんが、日本人初で、しかも最年少で優勝、などなど。そんな中で、ベルリンフィルの芸術監督に就任したアバドを取り上げます。

 カラヤン亡き後、アバドに決まるまでの間、いったい誰になるのだろうという話題がクラシック音楽ファンの間で盛り上がっていました。私はきっとバレンボイムかマゼールあたりかな、と思っていました。当時、アバドはウィーン国立歌劇場の音楽監督でした。きっとオペラ好きだろうから、オペラがあまりできないベルリンフィルには行かないのではないか、と予想していました。ですから、アバドに決まったときは大変驚きましたし、また打診があったときに二つ返事で承諾した、なんてとても信じられませんでした。

 「アバド・イン・ベルリン」というドキュメンタリー映像があります。昔LDで出ていたはずですが、今はどこを探しても見当たりません。封印されてしまったのでしょうか。しかし、これは非常に興味深い映像作品です。「独裁者」から「民主的なリーダー」に変わり、楽員たちも戸惑いながらも、徐々に信頼を深めつつ、一緒に音楽を作り上げていく様子がマーラーやブラームスのリハーサル風景を交えてうまくまとめられています。

 カラヤンとの違いを如実に示すような場面もいくつか出てきます。例えばカラヤン専用だった指揮者の控え室を、客演指揮者にも開放しようと持ちかけてみたり、リハーサルの休憩中にカフェテリアで食事をとる楽員の輪の中に自ら進んで入っていって、同じテーブルで皆と談笑したりする様子が写し出されます。また、現代音楽のリームの作品のリハーサルでは皆の前で、自分の振り間違いを自ら認める発言をする、というような謙虚な一面なんかも出てきます。

 アバドに決まったのは確か1989年の暮れごろで、正式に就任したのが1990年のはずです。世界の情勢の変化と同じくして、これからクラシック音楽界の勢力図も大きく変わっていくのだな、印象づけた出来事でした。その後、ジルヴェスターコンサートにテーマがが設定されたり、ヨーロッパコンサートが始まるなど、いろいろな新機軸が打ち出されていくことになります。

 就任発表直後の演奏 正式に就任した時の演奏 同年にウィーンフィルとも